いまさら 道徳なんて

道徳と聞くと、シニア―は、
「ああ、あの押し付けか」と感じる人が多いのではないでしょうか。

なにせ、「道徳」で連想するのは、「道徳教育」ですから。

小学校で「親には、孝行せえよ」「先生は、敬えよ」などと、
頭ごなしに叩き込まれました。

でも、当時は 純真無垢な小学生ですからね。
大人から、そう 教えられると、素直に受け入れていたのでした。

昔の小学生は変にひねくれてなんかいませんでしたよね。

どうしてかというと、今のように情報が発達していませんでしたから。
社会についての情報は、大人や、学校での先生から提供されていたのでした。
新聞はありましたが、新聞情報を読みこなす能力なんて 子供にはありません。

電波情報は、ラジオだけで、ニュース解説なんてなかったように記憶します。
あったとしても、小学生の頭では、理解できなかったでしょう。

だから、親やまわりの大人からあれこれ言われたら、
「はいはい」と聞き入れていて、そうやって育った大人が、
子供たちに「親には、孝行せえよ」「先生は、敬えよ」と教える――
単純再生産のような展開になっていたと思います。

だから、たまに子供から「どうして そうなるの?」と聞かれても、
親や大人たちは、「昔からそうなっているからだ」で 済ませて
それで一件落着ですよ。

道徳教育と言うのは、学校制度が始まった明治時代に端を発しているようです。

では、明治より前の江戸時代ではというと、
寺子屋というものがあって、
そこでは、論語を学んでいたと聞きます。

確かに、論語は 道徳そのもので、
仁、義、礼、智、信という5つの行動規範を説いているようです。
(高校の漢文授業で、何となく、頭に叩き込まれたような気がします)

論語は、孔子の教えに基づいており、
これらの徳は、人が生きる上で大切なもの、目指すべきもの、
守るべきものとして述べられています。

ここで ふっと 頭をよぎったのが、老子です。
孔子といえば老子が出てくるのは、ごくごく自然な展開でしょう。

そういえば、老子には、『道徳経』という書き物があったのですよね。
これは、道徳そのものを扱っているじゃありませんか。
でも『道徳経』の中身なんて あまり知りません。

老子という人物が実在したかどうかは定かではないようですが、
道徳を探るからには、『道徳経』を調べ直す必要があるようです。